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中平コラムSeries124:会議は事件現場だ。“宿題”とは、真実を拾うことって話

作成者: 中平裕貴|2025年07月28日

こんにちは、エスワイシステム関東の中平です。

 

突然ですが、「宿題がない会議」ってどう思いますか?

いや、正確には「自分に宿題がなかった会議」です。
先日、ある会議のあとで、若手メンバーがこんなことを言ってました。

今回の会議、特に宿題なかったです」って。

おそらく、本人は何の悪気もなく、事実を伝えたつもりだったんだと思います。
でも、なんだかそれを聞いたとき、「それって本当にいいことなんだっけ?」と、ひっかかりました。

 

 

会議って、事件現場みたいなものです

 

僕は昔、探偵をやっていました。
その影響か、会議に参加するときも、どこか「現場に入る」ような感覚があります。

交わされる言葉、沈黙、目線の揺れ。
言葉と言葉の“”、異常に丁寧な語尾。
そういう細部に、“違和感”が宿っていることがある。

そしてその違和感は、大抵何かのサインです。
プロジェクトがうまくいっていない、誰かが本音を飲み込んでいる、決めきれていない──
見えない火種は、そういうところに潜んでいます。

 

 

宿題って、“もらう”ものじゃなく、“見つける”もの

 

会議で宿題がない人は、本当に「何もなかった」のか。
それとも、「何も見つけられなかった」のか。

僕は後者の可能性もあると思っています。

会議の中で、“自分が拾うべき違和感”はあったはずなんです。
でも、それに気づけなかった。あるいは、気づいても動かなかった。

だから宿題がなかった。

そんなふうに捉えると、「宿題ゼロ」は必ずしもいいことではないのかもしれません。

 

 

宿題がある人は、現場で“何か”を拾った人

 

探偵って、証拠を見つけるだけじゃなく、
そこから“次にどう動くか”を決めるところまでが仕事です。

会議も同じ。

違和感を拾って、「これ、私が調べてみます」「一度確認しておきますね
と、自分から手を挙げる人は、すでに“事件解決側”に回っている。

一方で、何も拾わず、何も動かないまま、ただ時間が過ぎてしまった人は…
それはもう、現場に“いた”とは言えないのではないでしょうか。

 

 

まとめ:真実は、動いた人の手元にだけ残る

 

動かなかったけど、特に問題なかったと思います
そう言える会議も、確かにあるかもしれません。

でも、僕が信じているのは、

“真実”は、動いた人の手元にだけ残る──ということです。

会議は、言葉を並べる場所じゃなくて、行動のきっかけをつかむ場所。

だから今日も、僕は会議に“探偵として”入ります。
目を凝らし、耳を澄まし、違和感を探しに行くのです。

 

 

著者情報


 

中平 裕貴(Yuki Nakahira)

株式会社エスワイシステム 関東事業本部

関東第2事業部 3SEシステム6部 事業部長代理

 

『技術 × 事業戦略 × 組織運営をつなぐ実務家』

 

エンジニアとしての技術的な知見を持ちながら、営業・事業運営・HR・組織マネジメントの視点も持つ実務家。

エンジニア、グループ会社経営、営業を経験し、技術とビジネスの両方を理解した「橋渡し役」として事業推進に携わる。

技術と組織運営をつなぎ、主体的なチームを育て、人々が「WANT TO」で動ける社会を目指す。

 

🛠 技術領域

アプリ開発、クラウド、データ分析、AI、

📈 事業・営業経験

SI事業の拡大、プロジェクトマネジメント、アジャイル

🏗 組織マネジメント

リーダー育成、組織改革、チームビルディング

 

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